富士山 トレーニング山行

2001年11月23日〜25日
小倉 八尋(記録)

 夏の報告を終えてからすっかり執筆意欲を失って心の旅をしていましたが、先日見に行った「ロード・オブ・ザ・リング」が僕を呼び起こしてくれました。何故ハリウッドの超大作はあまり面白くないのでしょう。評はおいておくとして、映画の中で一行が吹雪の山を強行軍する場面がありました。「おいおい、よくそんな装備でそんなおっかないところ行けるなあ、しかも吹雪なのに」と言いたくなりました。多分制作スタッフには雪山経験者がいなかったのでしょう。閑話休題。僕の今冬期の主目的となる計画として前穂高北尾根縦走があった。この話はかなり早いうちから小倉さんのリヴェンジ計画として小耳に挟んでいた。実際参加を持ち掛けられたのは臼田さんの送別会のころだったと思う。冬の穂高など未熟な僕にはまだまだだと思っていたので一寸戸惑ったが、折角のチャンスなので連れていってもらうことにした。田中さんも体力があれば大丈夫とか言うし。しかし僕は絶対的に経験がなかった。雪山は比良しか行ったことがなかったのだ。そのため十一月に小倉さんは僕をまず富士山に連れていってくれた。三連休だったが、初日に小倉さんはマラソンに出場したため、その夜出発ということになった。マラソン走った後に夜中じゅう車を運転して、翌朝から平然と登ろうとするのだから小倉さんはすごい。すごいというか変である。朝から天気は良好。初め五合日まで車を乗り入れようとしたが、途中のゲートが閉まっていたため引き返して一合目からコツコツ登ることになった。単純体力には自信がある。疲労している小倉さんを置き去りにしてどんどん登っていった。時々休憩して小倉さんが来るのを待つ。長く休むと体が冷えてくるのだが、心は温かかった。少し前に彼女ができたばかりだったからだ。
 五合目の小屋まで登ったところで、長めの休憩をとった。この辺りまではアイゼンもピッケルもなしで行ける。他のパーティーもかなりいた。まだそれ程積雪量はないとは言え、やはり富士山は冬初めのアイゼントレ―ニングにはいいのだろう。まだ五合目までバスが入る登山口もあるらしいし。そのせいだろうか、五合目より少し登ったあたりで下界の格好のカップルがいた。彼らはあたりにようやく積もり始めた雪など溶かしてしまえと言わんばかりに熱々で、漠々たる大下界を睥睨しながら悠然と接吻を交わし始めた。かつての僕なら、「山を汚すなァァーーーーーッッッ!!!!」とピッケルを手に襲い掛かったかもしれないが、今はにこやかに歩み去ることができる。彼女がいるのはなんと素晴らしいことだろう。
 上手く行けば頂上で泊まろうという計画だったが、日没までに着けるかどうか分からなかったのでそれは諦め、七合目小屋の前で少し早めにテントを張った。まずは水作りである。ところで僕はコッヘルの中にロペを入れることにしていた。水作りに僕のコッへルを使っていたのだが、水を作り終わった後、小倉さんが僕のロペを使い、ぽいとコッヘルの中に放ってくれた。そしてコッヘルに残っていた水に濡れ、ロペの半分はわやわやになってしまった。小倉さんは事も無げに、「あらら、かーわいそ。ごめーんね」と言って終わらせた。
 月が明るいので日が没してからも暗くならない。用を足しに外に出ると甲府市の町明かりが見えた。
 翌日はテントを残したまま暗いうちに出発。ひたすら上へ、上へと歩を進めるが、富士は大きい山だ。登っても登っても先がある。暗いうちに出て、やがて黄金の朝日が背中を照らし始め、すっかり日が昇ってようやく頂上の鳥居をくぐる。夏来たときにも同じところに登りついた。小倉さんを待ってから、お鉢巡りをした。一個所だけちょっと恐いところがあったが、あとは大して厄介なこともなく、ゴアのスパッツをアイゼンで引っかけて破いた以上の被害もなかった(とはいえ、これがかなりの被害であることは理解していただけることと思う)。そして長い長い下り!どこを歩いても下れるし、小倉さんと離れてしまったせいもあって、ちょっとコースを外れてしまった。逡巡していると小倉さんが彼方から呼びかけてくれた。というわけで、無事に下山できたのです。


(八尋)